◆地元、王子の狐から端を発した話ですが。。。

どうも、ffです。

おっと、freefoxです。お忘れなきようおねがいします。

前回、九尾の狐から妖狐の話に触れました。けっして詳しくは説明はしていませんが、お許しを。機会を見つけて、掘り下げたいとは思っています。

 

前回の話で心残りがあったので、そのことに触れたいと思います。九尾の狐とくれば、忘れていました。有名な話を。「えっ、はい、そのとおりです!」

 

現在の那須高原にある「殺生石」です。今も危険なので近づけません。柵越し数十メートル先にある殺生石を見ることになります。

 

伝説的な由来のある石碑?なのでしょうかね。伝説的と言えば、瞬間的思い出すのが丸の内都心部にある「平将門」の「首塚」ですかね。京都で謀反人として斬首されさらされた首が関東に舞い戻り落ちた場所です。当時は関西、京都が中心でしたから、それを関東にしようとした平将門は捕らわれ処刑され、今宵の地に舞い戻ったという伝説です。

 

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おっと、脇道にそれました。失礼しました!!

本線に戻しますね。

 

殺生石に話しを戻しまして、

九尾の狐の恨み辛み怨念で近寄るものを全て殺傷するという端的な意味合いがあるのですが、とどのつまりは科学的に付近一帯には硫化水素やら亜硫酸ガスが噴出していて、当たり前だがそんなの吸い込みゃー死んでしまうという結末があるわけでして、火山で地殻が活発な地域ではありうる話であることは十分に理解出来てしまうという寸法です。実際に私も何度か観光で訪れています。かなり硫黄臭の強い印象が残っています。そんな殺生石、見学しながら当時は伝説を思い浮かべて見ていました。

 

怪奇妖怪不思議ものには妙に興味があるので、それは仕方ない思考だと思っています。(苦笑)

 

鳥羽上皇が寵愛したという伝説の女性が妖弧の化身が、正体を見破られ逃げた後に、この地で討伐され石となったという逸話なんです。その妖弧が九尾の狐ってことで、同様の話は中国などでも存在するようです。その後、至徳2年に玄翁により打ち砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したとされる。

 

玄翁によって砕かれた殺生石が飛来したと伝えられる地は三箇所以上もあり、岡山県真庭市勝山には、玄翁の開山による化生寺境内に、殺生石の石塚が存在する。また、これも玄翁の開山とされている、福島県の表郷中寺、常在院境内にも、殺生石の破片と言われる石が祀られている。玄翁の座像と、絵巻「紙本著色源翁和尚行状縁起」が伝えられています。

 

しかし、伝説といっても語りだけではなく、その痕跡が残っているのが全て作り話とはいいがたい点も感じてはいます。話のネタとなる物品などがあるというのは、何かしらその元となる、類似した話が合ったのではとも解釈している私です。

 

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地元の話題「狐」から端を発しての話になります。

もう少し、掘り下げつつも他の地元話題から発展的な話にしていければと思っています。

 

ではでは。。。