◆そう言えば、一里塚ってのがありまして。。、

こんばんはffです。

本郷通りをいくと滝野川あたりに一里塚ってのが有ります。さて、なんなのか、なんですがね。

小学校の頃に見学で通って説明されたのですが、今一なので、何十年もたって、調べてみました。その結果は、次のブログで紹介します。

 

なんか、凄く仕事が忙しくて、手間隙がないのです。夏休みのシーズンで、現場も人手不足が深刻です。

 

ではでは。。。

 

◆「古河庭園」って、誰の家だったんだ、公開しているけど・・・。

ffです。

いよいよ8月が目前ですが、夏休みをってどこかにいったり、これからという方々も多いかもしれません。東京の隠れた名所を訪ねてみるのも良いのではと思いつつ、今回は「古河庭園」について、少し、お話しさせていただこうと思います。

 

この土地の地形を活かして、小高い丘の部分には洋館を建て、斜面には洋風庭園として、低地には日本庭園を配しているのが、この古河庭園の特徴です。

この家、いったい誰のだってことですが、明治の元勲・陸奥宗光の邸宅で、次男が古河家の養子になった時、古河家の所有に映りました。但し、現在のものは再現されたものなので、当時の建物ではありません。現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル博士(1852~1920)で、当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館ニコライ堂なども設計していて、日本の建築界に大きく貢献をした人物です。

 

庭園部分は、京都の庭師植治こと小川治兵衛(1860~1933)の手腕で、彼は他に有朋の京都別邸である無鄰菴、平安神宮神苑円山公園などを作庭しています。戦後に国へ所有権が移りましたが、地元の要望が強く、東京都が国から無償で借り受け、現在のような一般公開としています。大正初期の庭園の原型となる貴重なもので、伝統的な手法と近代的な技術の混在と調和が魅力で、現存する近代の庭園の中でも、極めて良好に保存されている重要なものになります。平成18年1月26日に名勝指定を受けました。

f:id:freefox:20170727231856p:plain 洋館

ジョサイア・コンドル最晩年のもので、大正6年5月に竣工しました。躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われています。屋根は天然スレート葺き、地上2階・地下1階の構造です。大正12年9月1日に発生した関東大震災では約2千人の避難者を収容、虎之助夫妻が引き払った大正15年7月以降は貴賓の為の別邸となりました。昭和14年頃に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在し、戦争末期には九州九師団の将校宿舎に接収されています。また戦後は英国大使館付き武官の宿舎としても利用されていました。

f:id:freefox:20170727232014p:plain園内茶屋

京都に多く関東では珍しい崩石積と庭門で仕切られた茶庭の中に、茶室があります。
春と秋のみ、抹茶を出しており、お茶席利用のかたのみ入室可能です。

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古河庭園地図

東京にいても、この園内に入ると東京であるってことを忘れてしまうような感じです。是非、一度、足を運んでみてはと思います。JR駒込駅からでも15分程度歩くと庭園です。

 

▼【古河庭園公開情報】

開園年月日:昭和31年4月30日

開園面積:30,780.86平方メートル(平成27年7月1日現在)

主な植物:モミジ、シイ、ヒサカキ、ダイオウショウ、モチノキ、ネズミモチヤブツバキ、ツバキ、イヌビワ、サクラ、ハゼノキ、マツ、ヒマラヤスギ、ツツジ、バラ、イイギリ、シャガ、ブラシノキハナショウブヒガンバナサザンカ施設洋館・茶室((公財)大谷美術館の管理)
※洋館建物内の見学は、往復はがきによる事前の申し込みが原則です。

 

洋館は、いつでも入れるわけではないので、見学したい方は問合せなどして、確認してみてください。

 

ではでは、また。。。

 

◆そして「赤煉瓦」、また・・・。

こんばんはffです。

梅雨も空けてしばし暑い日が続いていましたが、一旦小休止といった感じで暑さが少し遠のいた日になりました。厚い雲に覆われた東京地方、30度を割ってしのぎやすい感じではあります。

台風の動きが気になるといった情報も流れているので、この先の天候には要注意かと、特にレジャーに出かけるようなタイミングではね。

 

さて「赤煉瓦」の話し、まだ、続いているのですが、前回は区立図書館の話しをしていますが、もう一つ、北区の滝野川にある煉瓦造りの建物があります。「赤煉瓦酒造工場」とも呼ばれています。今は、独立行政法人酒類総合研究所の東京事務所になっているのですが、その歴史は古く1903年(明治36年)、旧大蔵省醸造試験所施設として建造されています。1995年(平成7年)に独立行政法人酒類総合研究所になりました。

なんと「赤煉瓦酒造工場」の建物を設計したのは、あの有名な横浜煉󠄁河倉庫などを手がけた妻木頼黄(よりなか)だというから「へぇー」ですよね。

現在、2015年7月には、その独立行政法人酒類総合研究所も広島に移転してしまい、「酒造試験場跡地公園」となっています。重要文化財指定を受けている建物が隣接して残る公園なんですね。

 

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しかし、赤煉瓦作りって、良い雰囲気をもっていますよね。何でしょうか、この独特の漂う雰囲気というか、重厚さというか。。。

 

近代都市、東京ですが至る所に明治の時代を感じさせる赤煉瓦作りの建物が多く残っているというのは、確かなことですので、もし、暇があるようでしたら一つ一つ、訪問をしてみても良いかもしれません。何か、新発見があるかもと思います。

 

有名な赤煉瓦作りの場所と違って、概ね、人気がまばらなので落ち着けるのではと思います。

 

さて、次は・・・。

「古河庭園」とか「一里塚」、「貝塚」とかも北区にはあるので、また、少し触れて見たいと思います。新発見の何かを求めて・・・。

 

では、また、失礼しますね。

 

◆気がつけば。。。

こんばんは、ffです。

 

ズバリ、梅雨明けを明言しましたね、本日は。

関東甲信越も夏。すでにみんなのなかでは梅雨明けをしていたのは、事実でしょうね。

 

因みに、昨年より10日早いようです。昨年は、7/29だったそうです。

 

では、また。

 

◆とにかく暑い、暑すぎる・・・そんな訳で「赤煉瓦」にまつわる地元話の続きへと向かいます。

どうもffです。

東京地方、雨の日以外は猛暑って感じで30度超えが続いています。今日、日曜日も暑かったというか、まだ、暑い・・・。陽が落ちてきていくらか気温も落ち始めては居ますがね。

そう、でも考えたら「梅雨明け」宣言は、まだ、確か・・・沖縄だけだったような気がします。しかし、個人的には「梅雨明け」しているって思っている人が多いように思います。あくまで梅雨明けは一つの規準があって、それを満たさないと気象庁も明言しないわけですしね。因みに梅雨明け条件って、何でしょうね。意外に知らなかったりするので、少しだけ引っかけてみました。その結果が以下のものです(規準自体は幅があるようなので、唯一コレって感じではないらしい)。

 

▼【梅雨明け条件】

 ・太平洋高気圧などによって北へ押し上げられる
 ・南下してそのまま上がってこない
 ・など

 

そういえば梅雨明けしないままってのも過去にありましたが、どこまで梅雨明け宣言は期限かといえば、どうやら「立秋の二日後」みたいです。その後は、結局、秋となり「秋雨前線」という言葉が出てきてしまいます。

一応、今年は気象庁的には、7月20日前後としているようですが、私の中でも既に梅雨明け感覚ですが・・・。

 

おっと、またまた、最初から脱線してしまいました。これだけ暑いと、その話題に触れないわけにもいかない心情をわかってください(苦笑)。

 

さて、本題の「赤煉瓦」に話しを戻したいと思います。

赤煉瓦造りの建物は、多くは明治頃から多く建てられた印象があり、工場だったり酒造場だったりと、住むというよりは何かを作るための建物の多くが、煉瓦作りのようです。倉庫も忘れてはいけませんね。

では、なんで煉瓦なのでしょう。コンクリートは近代ですから、だとすると木造でもいいように思いますが。。。

 

北区の中央図書館、ここも赤煉瓦の建物を利用したものです。

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 この図書館、元は赤煉瓦倉庫(1919年築、旧陸上自衛隊十條駐屯地275号棟)であったものを改装し増築を施し2008年6月28日に北区中央図書館として生まれ変わり運営をしていねのです。

赤煉瓦部分に増築した形で図書館となっていて、赤煉瓦部分がカフェとして利用していて、持ち込みも可能たせそうです。

北区の特徴としては、戦前は陸軍の軍事施設や軍需工場が数多くありました(赤煉瓦作りの施設が多かった)。戦後は、一部が自衛隊の駐屯地となっていましたが、その多くは民間転用活用されています。この中央図書館は、旧日本陸軍の弾薬保管を主とした倉庫でしたが、その利用も役目を果たし終え、活用した結果がオシャレな北区の中央図書館となったのです。

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区営ですから蔵書数が誇れる程の数ではありませんが、ちよっと雰囲気の違った図書館の空気を感じられる落ち着いた空間が魅力にはなっています。北区の施設なので区民限定という認識をもたれるかもしれませんが、図書を借り受けるための図書カードも区民以外でも作ることができます。

近隣区にお住まいでしたら利用されても良いかもしれません。

 

色々なところで赤煉瓦施設を再利用したものが多くありますが、本当に独特の落ち着いた雰囲気を煉瓦は感じさせてくれます。夏期などは、涼しい建物というイメージも強く持っていたりします、私的にですが・・・。

 

さて、その他にも北区には、赤煉瓦酒造工場や赤煉瓦の歩道などもあります。私が子供の頃は、至る所に赤煉瓦の建物が多く点在していましたが、ある時期から一気に取り壊されたりして、団地へと変貌をとけで現在に至っています。

 

では、今回はこの辺にして、また、続きは今度へ・・・。

 

◆煉瓦にまつわる土地、それは。。。

少しご無沙汰のffです。

私事が多忙の極みとなり、ブログ更新まで手が回らない状況が続いています。人生、色々のあるものだと実感している毎日です。少しでもと、思い、ペンを取りました(古い言い回しです)

 

タイトルに煉瓦というキーワードを入れてみました。基本てには、地元話題に関連した内容でブログを構成しています。そこで'煉瓦'のキーワードが地元、北区王子を中心にどう関係するのか、触れてみたいと思います。

 

煉瓦、赤レンガといったい方がなじみはあると思います。赤レンガで皆さんが想像するのは、横浜の赤レンガ倉庫だったり、北海道札幌のビール工場跡地とか、比較的、全国の古い倉庫はレンガ作りで、観光スポットになったりします。あっ、網走刑務所もレンガイメージですね。

 

明治の頃から昭和初期は、レンガ作りの倉庫など建物として多かったことが、その背景にあり、独特の雰囲気があって、違う形で再利用されていたりします。

 

さて、そんな事情を踏まえて、いよいよ本題に突入します。実は、北区の王子や滝野川など、この界隈には赤レンガの建物が多く点在していました。私の子供時代、昭和40年代頃は、立ち入り禁止出下が、そのまま残っていた記憶があります。子供ですから忍び込んだ記憶もチラホラあったりましす。中の記憶がまったくないのは、なんなのかと思ったりしています。

 

では、いったい何に利用されていた赤レンガの建物かといいますと、北区の場合は軍事関係に集中していて、多くは兵器を作っていたようです。弾丸や砲弾もかなり作っていたようです。なので、その関係の赤レンガ工場といったい方がよいでしょう、多く点在していたのです。詳しくは、次のブログで触れたいと思いますが、多くは取り壊されましたが、一部は再利用され、今は図書館になっていたり、区の施設に改修されたりしています。残念ながら観光スポットとしての利用は軽微な結果です。

 

では、続きは、次に!

車内から立ちスマホでの書き込みより。

 

◆テーマは何に。。。

どうもffです。

ちょっと、テーマに迷っていて書き込まずにいます。基本、地元にまつわることにしていますが、以外に凄く気になることなどが飛び込んで来て、迷ってしまう自分がいます。

 

ちょっと絞って、今日明日には書き込みをしたいと思いますので、宜しくおねがいします。

 

そう言えば、昨日は。。。

海老蔵さんの妻の死去、おおむね想像はしていたものの、目の当たりにすると、なんとも言いがたい感覚に襲われます。生きた証を気持ちに残して、前を向いて進んでいってほしいと、海老蔵さんには言いたいです。

 

苦あれば楽あり、そんな気持ちで頑張ってください。子供達の将来へ向けて、ご自身の発展をしつつ!

 

ではでは、また!