◆「古河庭園」って、誰の家だったんだ、公開しているけど・・・。

ffです。

いよいよ8月が目前ですが、夏休みをってどこかにいったり、これからという方々も多いかもしれません。東京の隠れた名所を訪ねてみるのも良いのではと思いつつ、今回は「古河庭園」について、少し、お話しさせていただこうと思います。

 

この土地の地形を活かして、小高い丘の部分には洋館を建て、斜面には洋風庭園として、低地には日本庭園を配しているのが、この古河庭園の特徴です。

この家、いったい誰のだってことですが、明治の元勲・陸奥宗光の邸宅で、次男が古河家の養子になった時、古河家の所有に映りました。但し、現在のものは再現されたものなので、当時の建物ではありません。現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル博士(1852~1920)で、当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館ニコライ堂なども設計していて、日本の建築界に大きく貢献をした人物です。

 

庭園部分は、京都の庭師植治こと小川治兵衛(1860~1933)の手腕で、彼は他に有朋の京都別邸である無鄰菴、平安神宮神苑円山公園などを作庭しています。戦後に国へ所有権が移りましたが、地元の要望が強く、東京都が国から無償で借り受け、現在のような一般公開としています。大正初期の庭園の原型となる貴重なもので、伝統的な手法と近代的な技術の混在と調和が魅力で、現存する近代の庭園の中でも、極めて良好に保存されている重要なものになります。平成18年1月26日に名勝指定を受けました。

f:id:freefox:20170727231856p:plain 洋館

ジョサイア・コンドル最晩年のもので、大正6年5月に竣工しました。躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われています。屋根は天然スレート葺き、地上2階・地下1階の構造です。大正12年9月1日に発生した関東大震災では約2千人の避難者を収容、虎之助夫妻が引き払った大正15年7月以降は貴賓の為の別邸となりました。昭和14年頃に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在し、戦争末期には九州九師団の将校宿舎に接収されています。また戦後は英国大使館付き武官の宿舎としても利用されていました。

f:id:freefox:20170727232014p:plain園内茶屋

京都に多く関東では珍しい崩石積と庭門で仕切られた茶庭の中に、茶室があります。
春と秋のみ、抹茶を出しており、お茶席利用のかたのみ入室可能です。

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古河庭園地図

東京にいても、この園内に入ると東京であるってことを忘れてしまうような感じです。是非、一度、足を運んでみてはと思います。JR駒込駅からでも15分程度歩くと庭園です。

 

▼【古河庭園公開情報】

開園年月日:昭和31年4月30日

開園面積:30,780.86平方メートル(平成27年7月1日現在)

主な植物:モミジ、シイ、ヒサカキ、ダイオウショウ、モチノキ、ネズミモチヤブツバキ、ツバキ、イヌビワ、サクラ、ハゼノキ、マツ、ヒマラヤスギ、ツツジ、バラ、イイギリ、シャガ、ブラシノキハナショウブヒガンバナサザンカ施設洋館・茶室((公財)大谷美術館の管理)
※洋館建物内の見学は、往復はがきによる事前の申し込みが原則です。

 

洋館は、いつでも入れるわけではないので、見学したい方は問合せなどして、確認してみてください。

 

ではでは、また。。。