◆王子といえば都電でしたね・・・。

ffです。

王子といえばなんでしょう。

狐、稲荷、洋紙、桜とか・・・一部、少し触れてきました。そして、少し脇道にそれて「赤羽」の微かな思い出を語りました。まだまだ、色々とあるのですが、やつぱり今の東京という言葉、近代的なイメージが強くなりすぎて、「都電」という少しノスタルジックなイメージから離れた感じを受けていたりします。当時は、都民の足として縦横無尽に道路の真ん中に線路が引かれ、そして、電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされていました。私も子供心に、その印象は強いですね。伝染が道路を覆うように格子状に張られていたんです。都電の通る道全てに・・・。

 

都電の停車駅は、道路の真ん中にあって道路を渡って都電の駅に入るといった感じを覚えています。なんか道路の真ん中なので渡のが怖かったし、渡り終われば離れ小島にいるような感覚。左右は自動車が行き来していて川の流れのど真ん中というような状況。。。少し、怖いなって、思いも私の心にともりました。

今の都電は近代的なデザインになってしまって、郷愁を誘うという感じではないようにも感じつつ、きっと、今の都電を何十年後かに今の子供や若者世代が見ると「懐かしい」と郷愁を抱くのかもしれません。

 

私としてはこの形が都電として心の奥にある形なんです。

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この画像、ネットで見つけたものですが。このシーン、上にかかる陸橋は王子駅、当時、国鉄時代の京浜東北線のものです。貨物も当時はかなの多く走っていましたし、十條製紙から繋がった線路では、パルプが運ばれ用紙に加工された、巨大な紙のロールが積まれた貨物もありました。

 

因にこの画像、奥が飛鳥山からの坂を下りてきて陸橋の下をくぐり、都電王子駅前駅に入るためにカーブしているところです。

カーブすると下の画像、はい、都電の王子駅です。

 

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妙に懐かしいですね。

この画像で線路が切れているでしょう。これは荒川線だけになるまえに走っていた線路なんです。赤羽方面に向かって北本通りの真ん中に都電の線路が伸びていました。ルート的には、地下鉄の南北線に近いかもしれません。

 

概ね、バスの路線が当時の都電の多くのルートをカバーしてしまったということになりますがね。

 

今回は、この程度で・・・。