◆さてさて、次の予告になりますが・・・。

気温も朝晩、低くなり過ごしやすさが少し戻ってきた感じの今日この頃ですね。

こんばんは、ffです。

 

地元話題からしばしチョイスしてここのブログを続けていますが、特に地元限定ではなく、どこの地元でも登場するコンビニ事情について、一考察を書き綴ってもと思っています。世間では、仕事の割には安い時給だし、イマイチ評価も低いせいか極度の人材不足に悩まされているという現実、特に深夜帯は中々厳しい現実があるようです。(どの業種も全般的に人材不足は否めないのですが・・・)

 

この「はてな」でもしばしブログで登場していますが、やはり時給アップもさることながら、人材のターゲットを学生や若い年齢層に頼らず、主婦層やシニア層により人材を求める必要性があると感じます。特に高齢者社会になりつつある中、元気なシニア層をどう活かしていくかが人材不足を解消する一つの手でもあるように感じます。それと、多少のノウハウと人材確保ルートが必要になりますが、外国人留学生の登用というのも人材不足解消手段としては、有用だと感じます。

 

私も都心部のコンビニ、特に新宿などで多く見かけますが、外国人店員が多い事に気づくのです。外国人は言葉や習慣の違いからある程度、扱いが難しいのですが、そのノウハウを持てれば、かなりの戦力になる事は確かだと思います。実際、ホテルなどの清掃担当の多くは、ベトナム人が多いという実感を持っています。やはりそこには人材として外国人を登用するルートやコネクションを持った企業であることが必要で、その会社の人事担当も定例的に入国管理局などの人との交流を持っていて、その手の情報を入れて人材として活用している実態があるのです。

 

以上の点をどう活用していけるのか、そのノウハウを得られるのかが人材不足を解消するコレからの手段の柱になると思っています。

 

日本人は、仕事に対して淡泊になりすぎ贅沢にもなっている。特に若い世代は、何かとブラックなのってそんな意識と先入観から仕事を評価してしまう。昔の仕事に対しての貪欲な日本人は少なくなってしまっているのかも、もしそれがあるとすればシニア層や留学外国人なのかもしれません。

 

さて、少し話しを戻しまして、どこの地元にもあるコンビニという超人材不足の夜間業務の一端を具体的に話してみようと思っています。コンビニの夜間バイトを考えている人の参考になればと思っています。(実体験からの話しです)

 

では、続きをお待ち下さいね。

 

◆一里塚の話しは続く・・・。

こんにちはffです。

長雨は一旦小休止って感じで一安心かな!? ジトジトが続くのは気分的にどうにもスッキリしないですからね。東京は20日連続らしく、これだけ続くのは40年ぶりだそうです、過去、22日連続に次ぐ記録だそうです。秋雨かって感じでもいたのですが・・・。ただ、一時も強烈な暑さは遠のいてしまったのではと感じる今日この頃です。

 

一里塚の話しをもう少し・・・。

我が地の一里塚について話しましたが、日光御成道沿いのものであるのですが、そうなると他の街道にも当たり前のように一里塚は点在するわけですが、少し調べると中山道蔵にも一里塚は残っているようで、東京では板橋に「志村一里塚」が道路の左右にあるようですね。本郷一里塚は、その場所に説明看板が立っているのみです。

f:id:freefox:20170821140826j:plain 志村一里塚の一つ(反対側にもある)

日本橋自体は、その全ての起点、五街道の始めの一里塚という意味になるようです。その五街道とは。。。国道xxx号とかではなくxxx街道なんて読んでいるので、その方が親しみがある、いわゆる昔からの呼称です。

 ①東海道

 ②中山道

 ③甲州街道

 ④日光街道

 ⑤奥州街道

f:id:freefox:20170821140804j:plain 五街道の起点、日本橋

徳川家康によって整備されたもので、主に公用に利用することを目的として整備されたようです。

 

当然、共通するところでは一里塚も整備されていたということになります。

 

さて、今回は、この辺で、では、また・・・。

 

 

◆さて、一里塚のつづきになりますが。。。

こんにちはffです。

東京は毎日のように雨模様の日が続いていて、何十年ぶりの長雨と報じられています。何か夏、もう終わりって気配を感じている毎日です。

さて、一里塚という言葉は既に前の記事で触れています。旅する者達へのどの程度歩んできたのかを知る事ができる道端の距離標のようなものです。マイルストーンとかいった方が分かるのかもしれません。

wikipedia」の説明では。。。

一里塚(いちりづか)は、旅行者の目印として大きな道路街道)の側に1(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)である。塚の側どの木を植えたり標識を立てたりしていた。

 

東京の北区にあるのが「西ヶ原一里塚」となり、江戸の日本橋を起点として日光まで続く「日光御成道」の二里目の一里塚になります。都内では超貴重な史跡になり、国史跡に指定されているものです。どうも大正時代に道路工事の折、撤去されそうになったのを当時の地元住人達、渋沢栄一にの住民運動によって保全され、現在に至っているようです。なので、脇には道路(本郷通り)が通っています。

 

f:id:freefox:20170816132647j:plain 道路が直ぐ脇に通っています。

f:id:freefox:20170816132732j:plain 地図だと飛鳥山を上っていた先

 

また、途中になてしまいました。

今回は、ここまでです。

 

次回へ続けることにします。

ではでは・・・・。

 

◆北区で一里塚といえば、西ヶ原一里塚です。

こんばんは、ffです。

一里塚、子供の頃に社会か見学のコースに入ったいたので、記憶のあ手角に残っています。たた、何か碑のようなものはなく、木が植えてあるだけのものです。この一里塚は、街道沿いに設置されていて、マイルストーン的なものです。

 

より、詳しくは画像も含めて次に続けます。なんとも昔ながらの風情を感じるものです。昔の旅人は、塚を通る旅に、どのくらい歩いたのかを知ることができた訳です。あまり現在は残っていないようなので、北区の一里塚、是非、一度、訪れるとよいかもしれません。

 

但し、一里塚、道路に挟まれていますが。。。

 

では、続きはまた、次に!

 

◆そう言えば、一里塚ってのがありまして。。、

こんばんはffです。

本郷通りをいくと滝野川あたりに一里塚ってのが有ります。さて、なんなのか、なんですがね。

小学校の頃に見学で通って説明されたのですが、今一なので、何十年もたって、調べてみました。その結果は、次のブログで紹介します。

 

なんか、凄く仕事が忙しくて、手間隙がないのです。夏休みのシーズンで、現場も人手不足が深刻です。

 

ではでは。。。

 

◆「古河庭園」って、誰の家だったんだ、公開しているけど・・・。

ffです。

いよいよ8月が目前ですが、夏休みをってどこかにいったり、これからという方々も多いかもしれません。東京の隠れた名所を訪ねてみるのも良いのではと思いつつ、今回は「古河庭園」について、少し、お話しさせていただこうと思います。

 

この土地の地形を活かして、小高い丘の部分には洋館を建て、斜面には洋風庭園として、低地には日本庭園を配しているのが、この古河庭園の特徴です。

この家、いったい誰のだってことですが、明治の元勲・陸奥宗光の邸宅で、次男が古河家の養子になった時、古河家の所有に映りました。但し、現在のものは再現されたものなので、当時の建物ではありません。現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア・コンドル博士(1852~1920)で、当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館ニコライ堂なども設計していて、日本の建築界に大きく貢献をした人物です。

 

庭園部分は、京都の庭師植治こと小川治兵衛(1860~1933)の手腕で、彼は他に有朋の京都別邸である無鄰菴、平安神宮神苑円山公園などを作庭しています。戦後に国へ所有権が移りましたが、地元の要望が強く、東京都が国から無償で借り受け、現在のような一般公開としています。大正初期の庭園の原型となる貴重なもので、伝統的な手法と近代的な技術の混在と調和が魅力で、現存する近代の庭園の中でも、極めて良好に保存されている重要なものになります。平成18年1月26日に名勝指定を受けました。

f:id:freefox:20170727231856p:plain 洋館

ジョサイア・コンドル最晩年のもので、大正6年5月に竣工しました。躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われています。屋根は天然スレート葺き、地上2階・地下1階の構造です。大正12年9月1日に発生した関東大震災では約2千人の避難者を収容、虎之助夫妻が引き払った大正15年7月以降は貴賓の為の別邸となりました。昭和14年頃に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在し、戦争末期には九州九師団の将校宿舎に接収されています。また戦後は英国大使館付き武官の宿舎としても利用されていました。

f:id:freefox:20170727232014p:plain園内茶屋

京都に多く関東では珍しい崩石積と庭門で仕切られた茶庭の中に、茶室があります。
春と秋のみ、抹茶を出しており、お茶席利用のかたのみ入室可能です。

f:id:freefox:20170727232356g:plain

古河庭園地図

東京にいても、この園内に入ると東京であるってことを忘れてしまうような感じです。是非、一度、足を運んでみてはと思います。JR駒込駅からでも15分程度歩くと庭園です。

 

▼【古河庭園公開情報】

開園年月日:昭和31年4月30日

開園面積:30,780.86平方メートル(平成27年7月1日現在)

主な植物:モミジ、シイ、ヒサカキ、ダイオウショウ、モチノキ、ネズミモチヤブツバキ、ツバキ、イヌビワ、サクラ、ハゼノキ、マツ、ヒマラヤスギ、ツツジ、バラ、イイギリ、シャガ、ブラシノキハナショウブヒガンバナサザンカ施設洋館・茶室((公財)大谷美術館の管理)
※洋館建物内の見学は、往復はがきによる事前の申し込みが原則です。

 

洋館は、いつでも入れるわけではないので、見学したい方は問合せなどして、確認してみてください。

 

ではでは、また。。。

 

◆そして「赤煉瓦」、また・・・。

こんばんはffです。

梅雨も空けてしばし暑い日が続いていましたが、一旦小休止といった感じで暑さが少し遠のいた日になりました。厚い雲に覆われた東京地方、30度を割ってしのぎやすい感じではあります。

台風の動きが気になるといった情報も流れているので、この先の天候には要注意かと、特にレジャーに出かけるようなタイミングではね。

 

さて「赤煉瓦」の話し、まだ、続いているのですが、前回は区立図書館の話しをしていますが、もう一つ、北区の滝野川にある煉瓦造りの建物があります。「赤煉瓦酒造工場」とも呼ばれています。今は、独立行政法人酒類総合研究所の東京事務所になっているのですが、その歴史は古く1903年(明治36年)、旧大蔵省醸造試験所施設として建造されています。1995年(平成7年)に独立行政法人酒類総合研究所になりました。

なんと「赤煉瓦酒造工場」の建物を設計したのは、あの有名な横浜煉󠄁河倉庫などを手がけた妻木頼黄(よりなか)だというから「へぇー」ですよね。

現在、2015年7月には、その独立行政法人酒類総合研究所も広島に移転してしまい、「酒造試験場跡地公園」となっています。重要文化財指定を受けている建物が隣接して残る公園なんですね。

 

f:id:freefox:20170727225645j:plain

しかし、赤煉瓦作りって、良い雰囲気をもっていますよね。何でしょうか、この独特の漂う雰囲気というか、重厚さというか。。。

 

近代都市、東京ですが至る所に明治の時代を感じさせる赤煉瓦作りの建物が多く残っているというのは、確かなことですので、もし、暇があるようでしたら一つ一つ、訪問をしてみても良いかもしれません。何か、新発見があるかもと思います。

 

有名な赤煉瓦作りの場所と違って、概ね、人気がまばらなので落ち着けるのではと思います。

 

さて、次は・・・。

「古河庭園」とか「一里塚」、「貝塚」とかも北区にはあるので、また、少し触れて見たいと思います。新発見の何かを求めて・・・。

 

では、また、失礼しますね。